【連載 第2回】流経柏・本田裕一郎監督 INTERVIEW/ユース育成の指導を考える。指導者、選手、環境はどのように変わったのか。

流通経済大学付属柏高等学校で、多くのプロ選手を育ててきた本田裕一郎監督の言葉を紹介する

元川悦子| Photo by 村井詩都 Shidu Murai

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『プレーヤーズファースト』の考え方が浸透したことは前向きなこと

流経柏の本田裕一郎監督

――とはいえ、指導者の知識レベルが上がり、指導のスタンダードが上がったことは、今後の日本サッカー界にとってプラスな部分もありますよね。

「それはそうですね。市原緑時代にスパルタ指導をしていた自分のような、行き過ぎた指導や練習というのはなくなっています。『プレーヤーズファースト』の考え方が浸透したのは、非常に前向きなことですね。選手にとっていい環境になったのは間違いない。

 それでも接し方は変化しました。昔は『バカヤロー』とはじまってからだんだん優しくなる指導。今はまず『……がいいよね』と褒めてから『だけどな……』という指導になった。それは環境の向上はしていながら、『コンチクショー』と奮起する選手が出にくい環境につながっている。

 ただアスリートというのは、鍛えるべき時は鍛えないと戦えるようにはならない。そういう部分が少なくなったことには、やはり懸念を覚えますね。それをいかに改善させていくのか。これからの指導者はこの問題を突き詰めていく必要があると思います」

本田裕一郎(ほんだ・ゆういちろう)
1947年5月1日、静岡県生まれ。順天堂大学卒業後、千葉県市原市教育委員会を経て、75年に市原緑高校サッカー部監督に就任。その後、86年に習志野高校に転勤すると、95年にはインターハで初の全国制覇。2001年から流通経済大柏高校の監督を務め、07年には高円宮杯第18回全日本ユースサッカー選手権大会で全国優勝。翌年1月の第86回全国高校サッカー選手権大会、8月のインターハイも制し、見事3冠を達成した。これまでに宮澤ミシェル、広山望、福田健二、玉田圭司ら多くの個性あふれるプロ選手を育成している。

(連載 第3回に続く)

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