【ユースプレーヤー成長記】声を出し続けてきた誇り。三浦学苑3年・阪井豪希が見つけたピッチで生きる道

小学生時代に決して目立った成績を残した選手ではないものの、中・高でサッカーを続けながら3年生で三浦学苑のレギュラーとなった。そんな右サイドバック・阪井豪希選手に注目した

山本浩之| Photo by 山本浩之 Hiroyuki Yamamoto|シリーズ:ユースプレーヤー成長記

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■やんちゃなサッカー小僧はジュニアユースで成長を遂げた

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小、中学生時代から着実に成長していった阪井

 三浦学苑サッカー部は141名の大所帯だ。3から4チームが編成されるという。学区内であるヨコサン(横須賀・三浦)地区の生徒が中心に集まり、全日本少年サッカー大会で全国制覇をしたメンバー、全国中学校サッカー大会に出場した選手、Jリーグアカデミーの出身者など経験値の高い選手が顔を揃える。そのなかからトップチームに這い上がりレギュラーの座を勝ち取らなければいけない。

 横浜市出身の阪井豪希は小学生時代を地域のサッカーチームで過ごしている。「たぶん市内の大会で3位になったくらいで県大会や全国大会なんかのタイトルとは無縁でした」と言う。中学に進学すると横浜市のFC ASAHIに所属した。県立旭高校のOBが中心となって80年代から社会人チームとして活動しているクラブチームが、2010年に開設したジュニアユースのカテゴリーだ。阪井を指導した小林仁代表は当時をこのように振り返る。

「クラブにとって豪希は2期生にあたりますが、ひとりだけ1期生の上級生がいました。だから、その子の活動に豪希たちもついて行ったんです。つまり中1のときから中2の試合にも出ましたし、トーナメントだと相手には中3もいるようなことがありました。豪希はチームのムードメーカーでしたが、一方で気分にむらもあったので、やるときはやるけれど、やらないときはまったくやらないタイプでした。そこは厳しい指導をして泣かせたこともあります。それが中学2年、3年になっていくにしたがって改善され、フォワードとしてチームにとって必要なプレーを、前線からの守備も含めてしっかりと頑張ってくれるキープレーヤーへと成長していったんです」

 試合や大会で成績を残すことはできなかったが、クラブの草創期の息吹は、仲間と一緒にチームを作り上げていくという結束力を生み出し、やんちゃなサッカー小僧を少しずつサッカー選手へと成長させていった。やがて、小林代表の薦めもあり三浦学苑への進学を決意する。阪井は、三浦学苑に入学した頃のことをこう話してくれた。

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