【ユースプレーヤー成長期】サッカー少年に”憧れ”を与える使命。桐光学園3年・鳥海芳樹が歩んだ過去

全国高校サッカー選手権大会における神奈川県代表の桐光学園。攻撃を操り、10番を背負う鳥海芳樹が成長を遂げてきた少年時代の原点を訪ねてみた

山本浩之| Photo by 山本浩之 Hiroyuki Yamamoto|シリーズ:ユースプレーヤー成長記

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■地元で”全中”出場を目指してライバルと戦った中学時代

 結局、鳥海は学区内の藤沢市立村岡中学校に進学するとサッカー部に入部することになる。村岡中学は全国中学校サッカー大会で準優勝を2回している。直近では2010年の第41回大会。ちょうど鳥海が小学6年生の頃だ。

「あのときは村岡中学が強かったので、マリノスを落ちた時点で中体連でやろうというのは決めていました」(鳥海)

 鳥海は村岡中で全国中学校サッカー大会の出場を目指した。2年生のときには県大会のベスト4まで勝ちあがった。あとひとつ勝てば関東大会の出場が決まる。大一番はPK戦にまでもつれ込んだ。4番手のキッカーを託された鳥海。だが、彼の放ったシュートはキーパーに止められてしまい、村岡中は準決勝で敗退した。

「その(中学2年生で)負けた悔しさをバネにして、それからの1年間やってきました。でも、3年生になって、最後に浦賀中に負けてしまって……」(鳥海)。そういえば、以前この連載で、日大藤沢の竹内大敬を取り上げたときに、竹内の恩師である浦賀中学の熊谷先生は、こんな話しをしてくれた。

「竹内にとって、桐光の10番・鳥海(芳樹)くんは中学時代のライバルなんです。当時、竹内はボランチ、鳥海 は藤沢の村岡中のトップ下で、中学ナンバーワンの実力を持っていた。そんな鳥海 を唯一止めたのが竹内でした」(浦賀中学 熊谷先生)

 そのことを鳥海に聞いてみた。「そうですね(笑)。あの記事は読みました。その試合が(地区大会の)決勝だったというわけではなかったんですが、自分自身、何もできなくて浦賀中に負けてしまった。全中(全国中学校サッカー大会)を目指していた夢が叶わなかったんです」と答えてくれた。

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