スパルタ指導の弊害―理不尽な体罰がもたらした選手の生死にかかわる事故―【高校サッカー勝利学】
「勝利にこだわることで心を鍛える」。流通経済大学付属柏高等学校で、多くのプロ選手を育ててきた本田裕一郎監督の言葉を紹介していきます。
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けれど、あの当時は突っ走ってばかりで周りが見えていませんでした。ただ単に量だけを追い求めていたし、小刻みにしたり、緩急をつけるような工夫も足りなかった。それも未熟さゆえのマイナス面でした。
限度をわきまえず、厳しすぎる指導を続けた結果、救急車が出動する事態まで発展したこともあります。のちに本田技研入りして日本代表としてウインググバックなどで活躍した佐々木雅尚(現・保善高校サッカー部監督)が1年だったときの就任4年目の出来事です。
やっとサッカー部らしい集団になってきて、まずまずの選手が揃い、私自身もこの年は相当に気合が入っていました。学校で夏合宿を行ったある日、3人1組みで100メートル×50本のインターバル走をやらせてしまいました。
ビリになった者にはその都度、私が竹刀で尻を強打するという罰が与えられるため、彼らも気を抜けなかったのでしょう。全員が走り終わり、水を飲んでいたとき、「ヒュー」という音とともに佐々木が突然、倒れたのです。
私が駆け寄り、呼びかけても反応がない。すぐさま救急車を呼び、病院へ行ったところ、自発呼吸ができないほどの重症だと判明しました。「すぐに親御さんを呼んでください」とお医者さんから言われたとき、私は生きた心地がしませんでした。
「何とか助けてください!」と必死の形相で頼みつつ、オタオタしていると、同じ病院に“ピーポーピーポー”と別の救急車が近づいてきます。
不吉な予感がして、付き添ってきたキャプテンで、のちに79年ワールドユース日本代表候補として最終合宿まで帯同した柴崎雅之(現・中学教師)に「見て来い」と行かせると「先生、3年の野田です」と言うではないですか。
こちらも診察してもらったところ、かなりの重症。またしても親御さんを呼ぶことになりました。