【連載 第1回 千葉高校サッカー史】流経柏・本田裕一郎監督 INTERVIEW/千葉県校躍進の理由は「監督」にあり。王国・静岡を目指した時代

流通経済大学付属柏高等学校で、多くのプロ選手を育ててきた本田裕一郎監督の言葉を紹介

元川悦子| Photo by 村井詩都 Shidu Murai

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日本サッカー界を代表する強豪・市船の存在

2016年の全国高校総体で流経柏は準優勝

 今夏、広島県で行われた全国高校総体。ファイナルを戦ったのは、市立船橋(以下、市船)と流通経済大付属柏(以下、流経柏)という千葉県の強豪校同士だった。

 決勝でこの両雄が顔を合わせるのは3度目だ。1度目が2008年の埼玉大会、2度目が2013年の福岡大会、続いて今年度の2016年で3度目。08年は雷雨で試合中止となり、両校優勝という扱いになったが、13年は市船が4-2で勝利。流経柏としてはリベンジを期していたが、市船の点取屋・村上弘有の前半ロスタイムの一撃に沈み、タイトルを逃す格好となった。

 今回、この決勝の采配を榎本雅大コーチに任せ、ネット放送で見守ることになった流経柏の本田裕一郎監督は「ユース年代における近年の千葉の台頭は、私の出身地・静岡の以前の姿に似ている」と感慨深い様子で語った。千葉県勢が高校サッカー界でここまで地位を高めることができたのはなぜか。幾月にも渡り、同県において屈指のベテラン指揮官にあらためて説明していただいた。

――市船、流経筆頭に千葉の高校サッカーのレベルアップは著しいものがあります。その背景を改めてお聞かせいただけますか?

「千葉の高校サッカーはわずか20~30年の間に劇的に変わりました。70年代までは全国大会に行くのに北関東大会を突破しなければならなかったほど、千葉県には全国的な強豪校が見当たらなかったんです。そういう時代から習志野高校の西堂就先生、八千代の青木克巳先生が劇的にレベルを引き上げ、市原緑にいた私や八千代松陰の和久田充先生らがその背中を追って、必死に食らいついていくようになりました。

 そんな時代から80年代に突入し、市立船橋が急激に台頭してきた。その原動力は、やはり布(啓一郎=現岡山コーチ)の『監督力』でしょう。布の負けじ魂には、当時習志野にいた私自身も大いに刺激され、90年代は相当にバチバチした戦いが続きました。

 布の時代に市船は全国の頂点に何度か立ち、日本サッカー界を代表する強豪チームになりました。その布が2002年に退職した後も、後任の石渡(靖之=現教頭)、現在の朝岡(隆蔵=監督)と市船イズムを熟知する人間が指導にあたってきましたが、彼らの世代交代は本当にうまくいったと思います。

 私も習志野の後、流経柏に来たわけですが、習志野時代の教え子である榎本を筆頭に若い指導者が育っていて、まずまず順調に世代交代が進んでいるのかなと感じます。そうやっていいものを下の世代に引き継いでいくことは非常に重要なことですね」

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