リオ五輪メンバー・植田直通が高校サッカー選手だった頃! センターバックの楽しさに目覚めた大津高校時代
大津は熊本県内はもちろん、県外からも優秀な選手が入ってくるチーム。部員数は100人をゆうに超え、能力別チーム編成を取っている
スポンサーリンク◆現実になった青いウエア◆
この1カ月後の7月には、吉武博文監督(現FC今治監督)率いるU-16日本代表に抜擢され、新潟国際ユース大会に初参戦。平岡監督が半年足らず前に話した青いウエアに袖を通すことが現実になった。
「この代表のコーチが菊原志郎(現横浜FマリノスUー18監督)で、サッカー選手に必要なスキルや戦術眼を幅広く指導してくれました。彼は『平岡さんの教え子だから丁寧に教えましたよ』と言っていたけど、彼や吉武さんのようないい指導者に出会えたことも植田にとっては大きかった。自分と全く違う成長過程を辿ってきた岩波拓也(現ヴィッセル神戸)というライバルの存在も闘争心を煽ったと思います。自分を伸ばしてくれるいい環境に恵まれたから、彼は急激に成長していったんだと思います」(平岡監督)
平岡監督の要望を受けた菊原コーチは、吉武監督ともに非凡なポテンシャルを持つ植田を大きく伸ばそうと徹底的に鍛え上げた。当時のU-17日本代表での取り組みを、彼は懐かしそうに振り返る。
「植田は吉武さんが『この選手をセンターバックにどうかな』と連れてきた選手でした。もともとテコンドーをやっていて、中学時代もきちんとした指導を受けていないらしく、ボールを止める蹴るに難がありました。それでも185~186㎝という長身で足が速く、身体能力面の魅力は大きかった。『ここで鍛えたらいいんじゃない。植田と武蔵(鈴木=アルビレックス新潟)は付きっ切りで何とかしてくれればいい』という吉武さんの意見もあって、僕が主に技術面のサポートをすることになりました。
ただ、植田は人見知りが激しく、一言も喋らない(苦笑)。最初は大変でしたが、守備の基本中の基本であるチャレンジ&カバーを作戦ボードや映像を使いながら教え、基本から刷り込みました。彼はよく見ると目が澄んでて、本当に純粋な少年だなと感じました。真面目に数日間、努力を積み重ねてくれた結果、植田は新潟国際の最終戦だったアルゼンチン戦を0-0で抑えることに成功した。結果的にはPK戦で負けてしまったんですが、彼は言われたことを必死に吸収しようという姿勢を強く示して、成果を残してくれたんです。この時のプレーを見て『もしかしたら、ひょっとするかも』という期待が湧いてきましたね」