リオ五輪メンバー・植田直通が高校サッカー選手だった頃! センターバックの楽しさに目覚めた大津高校時代

大津は熊本県内はもちろん、県外からも優秀な選手が入ってくるチーム。部員数は100人をゆうに超え、能力別チーム編成を取っている

元川悦子| Photo by Kenzaburo Matsuoka|シリーズ:僕らがサッカーボーイズだった頃3 日本代表への道

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 土肥洋一(現東京ヴェルディGKコーチ)、巻誠一郎(現ロアッソ熊本)というワールドカップ日本代表選手を輩出している大津は熊本県内はもちろん、県外からも優秀な選手が入ってくるチーム。部員数は100人をゆうに超え、能力別チーム編成を取っている。

「トップチームは別格扱い。青いバスで帰ってきて、1年生はみんな『すげえ』と興奮していた。特別な存在だったのは間違いないです」と植田も憧れの眼差しで見つめていた。田舎出身の自分がそこに入れる保証はない。本人も大きな期待は抱いていなかったが、1年の高校総体県大会では早くもメンバー入り。3年生にも負けない身体能力を平岡監督も買ったのだ。

 しかし、大津は県大会準決勝・熊本学園大付属戦にPK戦で敗れ、全国切符を逃してしまう。この直後、植田は平岡監督に直々に呼ばれ、人生を変える一言を告げられる。

「お前、今日からセンターバックをやれ」

 指揮官の中では彼をDFとして育てる構想は入学前からあったという。

「入学前の中3の春休みにサニックスカップに連れて行き、U-18日本代表がアディダスの青いウエアを着てきたのを見せて、『直通、お前はあのウエアを着るんだぞ』と言ったことがありました。本人はピンとこなかったようだけど、その時からDFにしたいという考えはありました。入学当初はFWがメインでしたけど、トップチームでは5月頃からDFで鍛え始めましたし、時々指導に来てくれた帝京の恩師・古沼(貞雄)先生にもその方向で行く相談はしていました。私の中では迷いはなかったし、日本サッカーの将来を考えてもプラスになると思いました」(平岡監督)

 運命の日以降、植田は巻誠一郎が愛用したというヘディング用ボールでの練習を毎日何百回も繰り返し、頭でのクリアのスキルを磨いた。最初の公式戦だった九州プリンスリーグ・大分トリニータU-18戦でその成果を出そうと思いきりトライしてみたところ、それまでに感じたことのない快感を覚えた。

「相手がゴールキックを蹴ってきて、センターバックの自分がいつも練習していたようにバーンと弾き返した時、なぜか自分の気持ちが最高潮に達したんです。『なんやこれ、楽しすぎやろ』って。心の底からヘディングが楽しくてしかたがなかった。この試合からセンターバックにはまりました」

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