リオ五輪メンバー・植田直通が高校サッカー選手だった頃! センターバックの楽しさに目覚めた大津高校時代

大津は熊本県内はもちろん、県外からも優秀な選手が入ってくるチーム。部員数は100人をゆうに超え、能力別チーム編成を取っている

元川悦子| Photo by Kenzaburo Matsuoka|シリーズ:僕らがサッカーボーイズだった頃3 日本代表への道

スポンサーリンク

◆「近未来の日本代表のセンターバック」として◆

 こうして菊原コーチから代表合宿のたびに課題を与えられ、それを大津高校に戻ってトレーニングするという日々を繰り返すことになった植田。1つのことを突き詰めさせたら、彼は凄まじい集中力と吸収力を見せる人間で、代表合宿に戻ってくるたびに目覚ましい飛躍を遂げた。「こんなに選手って変わるんだ」と菊原コーチも驚きを隠せなかったほどだ。岩波との連携も練習・試合を重ねるごとに向上。吉武監督が率いたこのチームは2010年AFC・U-16選手権(ウズベキスタン)でベスト4入りを果たして世界切符を獲得。そして東日本大震災直後の翌2011年の6~7月にメキシコで開催されたU-17ワールドカップではベスト8まで勝ち上がる。植田の原動力となり、「近未来の日本代表のセンターバック」として一躍、日本中に知られることとなった。

 高校3年間で目覚ましい進化を見せた彼は、2013年春に鹿島入り。2014年からは鹿島で出場機会を増やすとともに、2016年リオデジャネイロ五輪を目指すU-21日本代表の主力としても活躍するようになった。2015年1月には念願だったA代表入りを果たし、同年アジアカップ(オーストラリア)にも参戦した。残念ながら出番はなかったが、「麻也(吉田=現サウサンプトン)君や先輩たちからいろいろ学ぶことができ、本当にいい機会でした」と彼自身も飛躍のきっかけを得た。

植田直通(うえだ・なおみち)
1994年10月24日、熊本県生まれ。ポジションは、DF(センターバック)。小学3年生から緑川少年サッカークラブでサッカーを始める。住吉中学校を経て、熊本の強豪校・大津高校へ進学。1年生からレギュラーに定着。高校卒業後、鹿島アントラーズに加入。U-16日本代表に選出されて以降、年代別の代表を経験。2016年リオデジャネイロ五輪を目指す日本代表の主力としてプレー。

<続きは『僕らがサッカーボーイズだった頃3 日本代表への道』でお楽しみください>

1 2 3 4
PAGE TOP ↑