モデルとなった野洲。聖和スタイルのはじまり【連載:第3回/後篇】

ドリブラーが集う宮城県の聖和学園。いまでこそ代名詞となったドリブルで魅せるサッカースタイルはどのように育まれたのだろうか。

小林健志| Photo by 小林健志 Takeshi Kobayashi|シリーズ:「聖和学園」

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2015年大晦日の高校選手権での対戦に続き、
8月の全日本ユース(U-18)フットサル大会でも聖和と野洲が激突
Photo by Takeshi Kobayashi

■野洲を見て、勇気をもらいました

 手探りでドリブルサッカーを追求する中、ついにお手本となるチームが現れた。2005年の秋に一期生が引退した直後の高校サッカー選手権で優勝し、セクシーフットボールというフレーズを世に知らしめた野洲だった。

「野洲が面白いよ、と言われて初戦を見たらとても、面白かったです。2回戦で対戦する四日市中央工(以下四中工)-利府を見た時、四中工がスピーディなチームだったので、四中工相手に余裕を持ってできるのだろうか?と思ってまた見に行きました。雨の試合でしたがとても面白くて見入ってしまいました。四中工もスピーディーでしたが、そうしたチーム相手に結果を出した野洲を見て、勇気をもらいました」

 野洲のセクシーフットボールに加見監督は魅せられ、自らの進んできた道に自信を得ることができたのだ。

 加見監督は「先生のやりたいサッカーはこういうサッカーだったんですね、と一期生に言われました。一期生は卒業してからの方がサッカーが上手くなりましたね」と笑った。

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