モデルとなった野洲。聖和スタイルのはじまり【連載:第3回/後篇】

ドリブラーが集う宮城県の聖和学園。いまでこそ代名詞となったドリブルで魅せるサッカースタイルはどのように育まれたのだろうか。

小林健志| Photo by 小林健志 Takeshi Kobayashi|シリーズ:「聖和学園」

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Photo by Takeshi Kobayashi

■勝たせてあげられなかったのは頭の片隅にあります

 一期生の松山翔太さんも「高3の秋に引退した後に野洲の優勝を見て、中学校からこういうサッカーをやっていればこんな風にできるんだと思いました。引退してから下級生と紅白戦などをやった時は力が抜けて、良いサッカーができるようになりました」と野洲の優勝が大きな影響を与えたことを思い返した。

 野洲の快進撃をテレビで見た選手たちは、ようやくドリブルサッカーの確固たるイメージをつかめるようになり、野洲を目標とし始めたのだ。この頃からは県内の中学校年代の強豪チームから聖和学園に選手が入るようになってきた。

 現在JFLヴァンラーレ八戸の主力選手として活躍している菅井拓也、菅井慎也は双子の兄弟。2004~2006年までベガルタ仙台ジュニアユースでプレーし、2007年に聖和学園に入学した。

 高い技術を持つ彼らが中心となったチームはさらに躍進を遂げ、2009年のプリンスリーグ東北は準優勝。高校サッカー選手権全国大会出場も期待されていたが、県大会で敗れた。

「あの子たちを勝たせてあげられなかったのは頭の片隅にあります」と加見監督は悔やんだ。

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