【連載 第3回】会社員の道を絶ち、サッカーの世界に戻ろうと決めた駒澤大学高校サッカー部・大野監督の教え
強豪校・駒澤大学高等学校サッカー部。部員270人の大所帯チームを率いるのは、16年に就任19年目を迎える大野祥司監督だ
スポンサーリンク武南高校時代の大野祥司監督は“和製マラドーナ”と呼ばれた名選手
第95回全国高校サッカー選手権大会(2015年)で東京代表となった、強豪校・駒澤大学高等学校サッカー部。部員270人の大所帯チームを率いるのは、16年に就任19年目を迎える大野祥司監督だ。
自身も武南高校(埼玉県)3年時に全国高校サッカー選手権大会に出場、大会得点王に輝いた経験を持つ。1997年に同部監督に就任した時、「5年で全国大会に行く」と宣言し、周りに失笑されたという大野監督。サッカー指導に情熱を燃やし、実績を重ねてきた軌跡を聞いた。
■「好きなことをやるべきだ」母校・青山学院大学の教授に背中を押された
大野監督のサッカー指導のキャリアは、27歳から始まる。
武南高校を卒業後、青山学院大学(以下、青学)に進学した大野監督は、社会人になると同時にサッカーを辞め、金融(保険)業界で働き始めた。
ビジネスパーソンとして手堅く生きていこうと思っていた矢先、社会人1年目(93年)にJリーグがスタート。高校や大学で共にプレーしていた選手たちが、プロサッカー選手として躍動している姿に「いいなぁ」と思う自分がいたという。
「今の仕事が本当にやりたいことだろうかと悶々としていたとき、青学の教授と食事をする機会があったんです。そこで言われた、『好きなことをやって生きなさい。
サッカーが好きなら、指導者という道がある』との言葉がきっかけとなり、せっかく入った大手企業を迷いなく退社。もう一度青学に入り直し、昼はバイト、夜は大学という生活を2年続け、教員免許を取得しました。
その後、また別の青学の教授から『駒澤大学高校が教員を募集している』と教えてもらい、何とか採用に。ようやく今につながるキャリアが始まったのです」