【高校サッカー選手の進路インタビュー】前育「10」番として選手権出場・横澤航平が選んだ「ドイツ」行き

前橋育英高校の「10」番を付けて選手権を経験した横澤航平。卒業後、「ドイツ」行きを決意し、独6部ESCレリンハウゼンと契約した。彼が選択したサッカーの道について話を聞いた

interview by 石黒登 edit by 編集部| Photo by 提供:Kohei Yokozawa

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16′-17’シーズン、独6部ESCレリンハウゼンでプレーする横澤航平(前列向かって左から2番目)

■前橋育英時代の回顧

――前橋育英高校に進学した経緯から教えてもらえますか。

横澤航平(以下、横澤)「小学校の頃から高校サッカー選手権をテレビで中継されているなかで、ずっと観ていた高校でした。中学生になってから徐々に『行きたい』と意識するようになりましたが、行きたいというよりもむしろ自然な流れのなかで、『いつかはこの学校でプレーするだろう』と考えていました」

――選手権に出場したのが2年生の頃、1年生の時はどうだったのですか。出場する為に意識していたことは。

横澤「当時は試合にあまり出場できていなくて、トップチームにも上がっていませんでした。1年生が集まるチームでプレーしていましたね。入部当初は走るトレーニングが多くて、正直僕は走ることが苦手で……。よく練習後に自主トレでランニングをしていました。結果的に1年生から3年生にかけてだいぶスタミナもつきましたけど、当時を思い返すと『試合に出場する為にやらなければ』とガムシャラにやっていたと思います」

――2年生になり、選手権では途中出場しながら、スーパーサブとして活躍していました。 

横澤「2年生になると毎回試合では途中から出場させてもらいました。攻撃を担う人間としては流れを変え、局面を変える仕事をしたいと考えていました。やはり起用してもらうのであれば、その期待に応えたいという気持ちでプレーしていました」

――途中出場で流れを変えた試合は多かったと思いますが、特に印象に残っている試合はありますか。

横澤「あの時は自分のなかでも初めての選手権で全試合が印象に残っています。(京都橘戦での得点はどうでした?)あの時は嬉しかったですね。ただ4-1で勝った試合の4点目でしたし、試合全体ではおまけみたいな得点。大げさには喜べず、でも心のなかではとても喜んでいました」

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