【高校サッカー選手の進路インタビュー】前育「10」番として選手権出場・横澤航平が選んだ「ドイツ」行き

前橋育英高校の「10」番を付けて選手権を経験した横澤航平。卒業後、「ドイツ」行きを決意し、独6部ESCレリンハウゼンと契約した。彼が選択したサッカーの道について話を聞いた

interview by 石黒登 edit by 編集部| Photo by 提供:Kohei Yokozawa

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■前橋育英の「10」番を背負って出場した選手権

――3年生のときは前橋育英の「10」番を背負って選手権に出場しました。

横澤「なにより『10』番を付けれたことが嬉しかったですね。小学校、中学校も『10』番を付けさせてもらっていて、特別好きな背番号でもありました。だから余計にユニフォームを着た時はモチベーションが上がりました」

――3年生の時はチームの中心で選手権の帝京第三戦で得点をあげていますね。

横澤「自分たちの代が中心でしたし、2年生の時よりも『点を取りたいし、点を取らなきゃだめだ』という気持ちが強かったんです。そのなかでやっと得点できたという心境でした」

――言葉からは悔いが残っているような印象を受けますが、どうでしょうか。

横澤「そうですね。1点しか取れなかったので」

――敗れた相手は國學院久我山高校でした。第94回では準優勝したチーム、もしここで勝っていればという思いも。

横澤「先々でどうなっていたのかは分かりませんが、上に行きたかったのは間違いありません。あまり力を出し切れずに終わって。自分たちとしても悔しい終わり方でしたし、『これで終わりか』というものでした。試合後は何も話せなくて。ただ後日、監督がいつもおっしゃっていたことなんですけど、『これでサッカーは終わりじゃないから』とあらためて話をしてもらったことが印象に残っています」

――あらためて前橋育英時代を振り返ってみるとどのようなことを学んだ3年間でしたか。

横澤「前橋育英ではサッカーにおける戦術といった以上に人間としての部分を多く学びました。そのなかでも『気持ち』の部分、特に物事やサッカーに取り組む姿勢のところ。これは監督やコーチがよく教えてくれたことで、『ハートの強い選手、人間が最後は目標を達成できる』というものです。3年間のなかでこれが一番大きな教えです」

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