【高校サッカー選手の進路インタビュー】前育「10」番として選手権出場・横澤航平が選んだ「ドイツ」行き

前橋育英高校の「10」番を付けて選手権を経験した横澤航平。卒業後、「ドイツ」行きを決意し、独6部ESCレリンハウゼンと契約した。彼が選択したサッカーの道について話を聞いた

interview by 石黒登 edit by 編集部| Photo by 提供:Kohei Yokozawa

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■ドイツでプレーするまでの道のり

――ドイツに渡った経緯について教えて下さい。当時はJクラブからのオファーがなかったと聞きますが、その上で渡独する決断をしました。どのように進路を決めたのですか。

横澤「正直なところを言えば、自分でも進路をどうしたらいいかわかりませんでした。監督からは反対されていて、大学に進学することを勧めてもらっていました」

――「ドイツ」行きについてはどなたから提案があったのですか。

横澤「お世話になっていた前橋FC時代の湯浅英明監督に話を聞いたんです。そこで『ドイツに行くのはどうだ』と話していただいたんです」

――ご両親はどのような言葉を?

横澤「両親は『自分のやりたいようにやってみろ』と背中を押してくれました」

――もちろんながら反対された方もいたと思いますが、ドイツへ旅立つときはどのような言葉をかけられましたか。

横澤「最終的には『自分で決めたのであれば責任をもってドイツでプレーしてきなさい』と言われました」

――やはり迷いましたか。

横澤「すごく悩みましたね。だけど、あとで後悔したくなかったんです。それに湯浅監督から、こんな言葉ももらったんです。『日本である程度サッカー界で知られているなかでプレーするよりも、選手として誰からも知られていないところに飛び込んで、本当にゼロから死に物狂いでやるのが、いまのお前に必要なことなんじゃないか』と言われて、それが決め手です」

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